サッカー部に入りたかったのだけれど。




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昨日の記事にもチラリと書いたのだが、
小学3年生のとき、僕はサッカー部の入部届けを持って学校にいった。

が、顧問の先生が怖くって?か、僕が人見知り過ぎてか
その日は入部届けを渡せずに家に帰った。

そしたら母が「養治スポーツ少年団(ソフトボール)に入部しといたよ」と。

この母の選択は僕の人生を大きく変えた。
サッカーではなく野球の道を進む人生。

中途半端に才能があったがために、
中学では、シニアリーグと野球部に所属、
その後の高校進学も市内の強豪校(下関商業)へと進んでいった。

練習の辛さも、それを乗り越えたときの達成感も、
仲間と一緒に戦う喜びも全て野球を通じて学んできた。

野球には感謝している。
が、これってあの日、母が僕を勝手に野球の道へと進めていった結果…。
恐ろしいことだなとも思う。

僕は野球を続けたことにまったく後悔はしていないのだが
もし、僕が苦しい人生を過ごしたとしたら…、母を責めていたかもしれない。
ちょっとした選択が大きく人生を変えることを重く受け止めていようと思う。

で、なんやかんやあって昨年、僕はもう一度
自らの選択で野球のユニフォームを身にまとった。

2017年6月15日【野村監督】誕生。
これは、自分が望んで「やる」と選んだ道。
(野村監督という屋号は、恩師2人と飲んでるときに名付けてもらったのだが…)

今日でちょうど1周年。
この一年たくさんの方々との出会いや、
以前からお付き合いのあるみんなに支えられて、
ふざけた屋号の僕を続けてこられた。

前社「ティーズ」のときから
「人を大切にする」という教えのもと取り組んできたつもりだったが、
独立し、してより一層強く「人とのつながり」を意識できるようになった。

「幸せは人が運んでくる」。

だから僕も人に幸せを運べる人になりたい。
もちろん家族を養っていきながら。

野村監督、2年目「もちろん、やります」!
みなさまよろしくお願いいたします。