おしゃれじゃなくていい。普通でいい。




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忘れもしない中学時代。周囲がおしゃれに目覚めはじめる頃、
僕はけっこうな遅れをとっていた。

先にヤンキーというものに憧れてしまい、
とんでもないボンタン(足のもものあたりがムササビのようにひらひらしたズボン)を
サンリブ(まちのスーパー的なお店)で親父に買ってもらって意気揚々とはいていたのだ。

しかも上着は、テカテカの緑生地に英語が書き殴られたシャツ…。

当然まわりのお母様方は「野村君どうしたん?」と
友達の家に遊びに行くたび不穏な空気を漂わせた。

友達がぽつりと僕に
「おかんに野村君と遊ぶのは控えなさい」と言われた。
というのを聞いてからは、

着る回数は減っていき、ちょうど、きれいめスタイルのベストを羽織るブームが来て、
僕のヤンキー私服は徐々に終焉へと向かっていった。

まず、
あの時そんな服を何も言わずに買ってくれた親父に言いたい。
「ありがとう」と。

その一件以来、僕は服(身だしなみ)に気をつけるようになった。
そして、ちゃんとトレンドを察知してベストのブームにものっかった。

おしゃれをするということに目覚めた思春期。
服を買うお金はなかったので、持ってる服を駆使してコーディネートを頑張った。

あのとんでもないボンタンをはいて周囲をドン引きさせた、
そんな大失敗があったからこそ辿り着けた“おしゃれへの目覚め”。

これが親父の教育方針だったとしたら素晴らしい。
感謝である。

でもこうも言いたい。
ベストブームのときに貸してくれてたあのベスト

「釣りのベストやから」とも。

街なかで平気で釣りベストを(おしゃれと思って)着ていた自分…

あれから25年以上が経つが、
この体験から僕は今だに自分のファッションを信じていない。