あだ名のとおりになっていく。




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小学校のクラスにひとりは“あだ名”の名手がいて、
僕にとってのそいつは「ジャモ」だった。

ジャモという“あだ名”は、本人がそう呼べと言ったのか、
今となってはさだかではないが、確かニワトリに似ているから
(しゃも:軍鶏)=ジャモになったのではと記憶している。

他には、岡本くん→おっかん→「ドラム」。
(おっかんのカンの部分にインスピレーションを受け)や、
本名は忘れたが「クサノミ」というやつもいた。
(草の上に座ったら、尻に木の実?の汁がついて)

さらには、サザエさんに出てくるわかめちゃんのような子に
「ぱんまる」というあだ名をつけていた。(いつもパンツが丸見えという意味)

他には、高津さんという身長の高い女の子には、
「タカスギさん」という、もう違う苗字になってるあだ名など、
そのネーミングセンスは群を抜いていたと思う。

そして僕は、武史(タケシ)ということから、
タケちゃんというありきたりなものだったのだが、
いつしか「タ」をはぶかれるようになり、「ケちゃん」で定着。

当時は何事もなく、それで納得していたのだが、
高校に入ったあたりから胸毛が色濃くなってきて、
「ケちゃん」というあだ名とカラダがシンクロをはじめてしまった。

もし、このことをジャモが予測していたのなら、
あいつはやっぱり只者ではなかったのだ。

ちなみに今は、ノムラ→「ムーラン」と呼ぶ人もいる。
ムーランは、フランス語で風車だったり、調理器具(粉砕器)だったり、
氷河の内部の空洞だったり、中国の古典文学の登場人部だったり、
ディズニーの映画だったりと、様々なところに意味というか存在している。

39歳にもなって、ムーランって…という気持ちもあるが、
あだ名で呼ばれるって、まぁ悪くない。というか、うれしい。

今のところカラダはムーランには反応してはいないものの、
風車が一番近いのではと思う。
いい歳こいて安定せず、さまざまな風に吹かれてクルクル回り、
そこから生まれるわずかな電力で生きている。

粉砕器に憧れながら。