子どもにとって100円って。




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100円あったら、けっこう長いこと遊んでいられた。
学校のすぐしたの駄菓子屋で
20円のゲーム(宇宙船でバンバン敵機を撃ち落とす)をやったり、
10円のガムを噛みながら、店に飾ってるBB弾の銃について友達と語り合ったり、
10円のきなこ棒を買って当たりを見破る研究をしたり、
10円の糸引き飴を口にほおばり長く居座ったり…。

そして、人が増えてくると、
スザキに移動するかと穴場の駄菓子屋へとハシゴもしたもんだ。

あの頃の僕らにとって、100円あれば
一日じゅう豪遊できるほど気持ちが高まる金額だった。

そして、時は流れて先日…(僕39歳)は、

阿倍野区の魅力創生事業の一環で
「どっぷり、昭和町」という年に1回の街のお祭りにて
“あべのってというキャラクターのプラパン作成”ブースの店番をさせてもらった。

訪れる子どもたちにプラパンの作り方を教え、
色を塗ってもらい、ボディシールを貼ってあげて、
100円をもらうという仕事。

多くの場合は親が一緒で、
親から100円をいただくのだが、
たまに小学校の低学年くらいの子が

「やりたいです!」と、
一人で訪れたりもして、その子の手から100円をいただくことも。

小さな財布から100円玉を取り出すその姿に、自分の過去の思い出がフラッシュバック。
胸がどきどきする…。

子どもにとっての100円って、結構な大金だぞ…。

しかし、この子はお小遣いの中から貴重な100円を払ってまで、
プラパンを作りたいと思ってくれたのだ。

混じりっけなしの「ありがとう」を僕は言った!
プラパンって素晴らしい! あべのって最高! など、
心の中でファンファーレが鳴り響いた。

100円が、いろんな気持ちを教えてくれた。