山口県の実家には四国八十八ヶ所のご朱印がされた掛け軸があった。
父が亡くなってからは、祖母の家にまつられている。
父の病気がわかったときのことは正直よく覚えていない。母から聞かされたのだと思うが、
癌が発覚してすぐなのか、母の気持ちの整理がついてから僕と弟に伝えられたのか…、高校3年のときだった。
その後、僕は大学へと進学し実家を離れたのだが、その頃の父は願掛けとして写経に取り組んだり、
母と二人で四国の八十八ヶ所をめぐったりと生きるために、できる限りのことをやってくれたらしい。
最初の手術は成功したが、それからは帰省して会うたびに痩せてく父をどうすることもできなかった。
父が亡くなって僕は四国八十八ヶ所をめぐるバスツアーに参加した。最初は日帰りで何ヶ所かお参りし、
その日のうちに大阪へ戻る。それを何回か繰り返し、日帰りが難しい距離になったら一泊二日になりといった具合に
八十八ヶ所を何回かに分けてめぐっていく。
まわりはご年配の方ばかりで、若造一人だったからいろんな方に良くしてもらった。
隣の席だったおじいちゃんとは「次はいつ参加する?」と、参加する日程を合わせるまで仲良くなった。
その人は昔ひとりで車に乗って八十八ヶ所をめぐろうとしたが途中で挫折したらしい。
それがこころ残りで、ようやく仕事が落ちついたのでもう一度チャレンジをはじめたとのことだった。
その人のおかげもあって、僕は40ヶ所くらいはお参りできたと思う。
一度だけ一泊二日のツアーに参加したのだが、
その後は仕事が忙しくなかなか抜けられなくなり結局、途中で断念。
おじいちゃんには僕に構わず行ってくださいと手紙を書いた。
父の見た景色を見たいと思い参加したものの、それ以降、四国八十八ヶ所めぐりは止まっている。
あのときのおじいちゃんと同様に僕は仕事に追われ、こころ残りを抱いたままに生きている。
ひょっとするとあのおじいちゃんは、僕だったのかもしれない、なんてことを思った。