いろんなことを忘れながら生きているのだけれど、
ふとしたきっかけで忘れていたことを思い出すことがある。
心の奥の方に仕舞って取り出し方がわからなくなってしまった
思い出や言葉たち。
先日、
フェイスブックを新たに始めて、
そこに大学の後輩が友達申請をしてきたことで
ひとつの言葉を思い出した。
もう10年以上も会っていないのだが、
ついつい今は何をしてるか
過去にさかのぼって記事を見てしまう。
見た目や雰囲気は、あの頃と変わらないところがうれしかった。
僕が20歳のとき、その後輩は19歳。
僕よりも相当大人だった。
僕が親父を病気で亡くした直後、酒を飲みながら、
長男だし、親父の代わりに家族を守っていかなくてはと
グチグチと語っていたとき、
その後輩は、
「野村さんがどんだけ頑張っても死んだ親父さんにはなれませんよ」とひと言。
その通りだと思った。僕はテレビドラマでよくある感じの「親父の代わり」を努めようとしてたことや、
周りの大人が「これからは君が家族を守っていかないとな」という言葉にとらわれ過ぎて
親父の代わりを演じる人生を選ぼうをしていた。
後輩のひと言は、僕の頭をかち割った。
そうだ、
今の僕が、死んだ親父の代わりをつとめようなんて無理なこと。
僕はまず自分をしっかりと生きなければ、
そしてもっと成長しなければ家族も何も守れないだろうという気持ちになった。
だから僕は、故郷とは反対の大阪へ出ることにした。
後輩のあのひと言がなかったら、今の僕はなかっただろう。
「野村さんがどんだけ頑張っても死んだ親父さんにはなれませんよ」のひと言は、
まぎれもなく、今の僕をつくった、たくさんの言葉の中のひとつと言える。