誰よりも上手くなりたくって、試合にもたくさん勝ちたくって、いずれはプロ野球選手になりたくって野球をやってた。小学校3年生、野球をはじめた頃はそう思って練習をしていたので辛いなんて感じたことなど1ミリもなかった。
できなかったことができるようになったり、バッティングのコツをつかんだ気になったり、仲間と励ましあったりと練習にいくのが楽しみで仕方なく、休みの日も素振りしたり、シャドーピッチングしたりと野球が大好きだった。「もっと、もっと、野球が上手くなりたい」。目的はそれだけだった。上手くなるためだけに毎日練習した。
そしてさらに中学校、高校と野球を続けていくうちに、様々な出来事がいつしか目的を曇らせていった。当時は何も気づかずやってたが、今思えば僕は何のために野球をやっていたのだろうと思うことがある。毎日でも苦じゃなかった練習は“休むと怒られるから行く”ものになり、ハードなトレーニングは“弱音をあげる自分を見せたくないからやる”ものになり、バッティング練習は“監督にアピールするため”のものになり、少しずつ「純粋に野球が上手くなりたい」という目的からズレていってしまっていた。
当然、その最中はそんなことには全く気づかない。だから怖い。三年間はあっと言う間に過ぎるから。
僕はほとんどサボることはしなかった。それはただみんなに認められたいからであって、野球が上手くなりたいということとは違っていたと今では思う。練習をサボってるやつはたくさんいた。でもそいつらは試合できっちり結果を出した。結果オーライ。だって練習は、野球の上達のためにやるもんだし、試合に勝つためにやるものだから。
僕はというと、サボらない→頑張っているようにみえる→大人に好かれる。レギュラーで使ってもらえる…。野球の上達のためというよりは体裁ばかりを整えていたように思う。サボりたいときはたくさんあった、体を休めたいときも。でもそうしなかった結果、肉離れ、肘、肩を痛めるなどのたくさんのケガをした。当然、野球の成長はパタリと止んだ。
だからこそ今ではこう思う。迷ったら立ち止まろう。そして自分はどこへ向かっているのかを考えよう。目的は何? 野球が上達したいなら体を休める日も必要。1日休んでも、その分リフレッシュして練習に取り組む方がパフォーマンスは上がる。
僕らは幸せに向かわなければならない。今日無理することが幸せにつながる近道ならそうすればいいし、幸せにつながりそうにないなら、未来のために今日サボろう。ちょくちょく目的を見直そう。目的は気づけばすり替わっていることが多いから。目的を忘れずに。