あの日のホームランをもう一度。




Pocket

もともとはサッカー部に入りたかった。
でも先生が怖くて入部届けを渡せずに家へと持ち帰った。

その日、母が「あんた養治スポーツ少年団(ソフトボールチーム)に入部させといたよ」と
勝手に決めやがったときのあの悔しさは今も忘れられないのだが、
このおかんの選択は、その後の僕の人生を大きく変えた。
その後、中学、高校と10年近く野球を続けることになったのだから…。

それまで野球というものに興味はなく、最初はもう捕れない、打てない、守れない…と
まったくダメダメだったのだが、監督やコーチがもう一生懸命に教えてくれるもんで
頑張っていると、めきめき上達していってしまったのだ。

できないことができるようになるということの喜び→それが楽しいに変化していく経験は
この時代にたっぷりと心と体に染み付き、今でも自分のベースとなっている。

そんな「養治ファルコンズ」から先日40周年の記念紙が届いた。
なつかしてくってページをめくっていると平成2年度の卒団生のページにあの日の僕を発見。

そこには、僕が打ったホームランの話が載ってあった。
グランドを越えて車道を越えて、民家の屋根に落下した特大ホームランの話。

もう28年も前のことなのに今でも鮮明に記憶している。
打ったのは、高めのボール玉、振り抜いたときにふらりと弧を描き飛んでいくボール。
レフトの高い緑のネットを越えて民家の屋根にポンッとバウンドした。

その試合に勝ったのか?負けたのか?という記憶はないのだけれど、
このホームランの情景だけは28年経った今でも色褪せない。

その後、中学、高校と野球をやってたけど
そんなホームランは打てなかった。

高校を卒業するときに野球はきっぱりやめた。
さんざん野球をやってきたが野球で飯は食えない。
新しい自分を始めたかったのかも知れない。

そして昨年、6月15日にフリーランスとして【広告再生工場『野村監督』】を開業。
約20年くらいぶりに野球のユニフォームを身にまとった。

もう一度、あの日の打ったホームランを打ちたくなったのだ。

明日で【野村監督】丸一年。
楽しむことを大切にしてやってきた。

まだ、ホームランは打てていない。